2016/11/20

日本漢方の歴史〜江戸時代まで〜

何事もそうであるが、何かを学ぶにあたっては歴史的背景は大切である。

 

漢方もそうである。どのような歴史を経て今日の漢方があるのか。

そして、この処方はどのような経緯で作られたのか。それも大事である。

 

そこで、日本漢方の歴史について簡単にまとめてみたいと思う。

 


 

(1)太古の時代

他国との伝来がない太古の時代においては主に経験治療が行われていた。

理論云々ではなく、こういった時にはこれを使うと言ったように。

 

もう少し時代が下ると魔法医術が行われ、祈祷やまじないが行われる。

 

(2)飛鳥、奈良、平安時代


この辺りでは、朝鮮半島や中国(隋・唐)との行き来が行われるようになり、朝鮮医学、隋医学、唐医学が伝来する。平安時代には現存する最古の医学書である「医心方」が作られる。この医心方はあの「丹波哲郎」氏の祖先である丹波康頼が著したとされている。

また、この時代より医者が僧を兼ねる宗教医学が始まっている。

 

(3)鎌倉時代


宋の時代に国家をあげて作成された「太平恵民和剤局方」が日本に伝来して、日本でも広く親しまれ、この書物の模倣に明け暮れる。この「太平恵民和剤局方」に記載されている処方は今でも日本でよく使われている程、歴史が深い書物である。

例)安中散、藿香正気散、香蘇散、五淋散、四君子湯、四物湯、逍遥散、参蘇飲、参苓白朮散、川芎茶調散、平胃散

 

(4)室町時代

田代三喜が明より金・元時代の医学である李朱医学を持ち帰る。

これより、「太平恵民和剤局方」にとって代わる。

 

(5)安土桃山時代

田代三喜に学んだ曲直瀬道三が李朱医学を広める(後に後世派と呼ばれる)。

*李朱医学…李東垣(りとうえん)・朱丹渓(しゅたんけい)の作った医学

      代表処方に補中益気湯がある。

 

(6)江戸時代

このあたりから「傷寒論」に戻る動きが出てきて、古方派と呼ばれる流れが生まれる。

後世派にとって代わり、全国に拡大する。蘭医学が伝入する。華岡青洲もこの時代である。

 

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以上のようにかなりざっくりと書きました。

 

鎌倉時代までは伝統医学や朝鮮、中国医学の模倣に終始していたように思えるが、室町時代になって、田代三喜が李朱医学を持ち込み、曲直瀬道三がそれを世に広めることで、日本漢方は独自に発展を遂げてきたのである。

 

そういう意味で、田代三喜、曲直瀬道三の役割は日本漢方において切っても切れない重要な人物である。

 

西洋医学が入っていない、安土〜江戸時代は漢方熱はすごかったのだと思う。

 

歴史は面白いですね。